大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)1426号 判決 1980年6月26日

上告人

中島鉄工株式会社

右代表者

中嶋徳三郎

右訴訟代理人

西沢八郎

外二名

被上告人

伊藤周株式会社

右代表者

伊藤周一

被上告人

伊藤周一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人西沢八郎、同阿部長、同阿部泰雄の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人と被上告人らとが本件工事請負契約を締結するについていわゆる四会連合協定の工事請負契約約款を用いることによつて、右契約について紛争を生じたときはその解決のため建設業法による建設工事紛争審査会の仲裁に付する旨の同約款二九条による仲裁契約が成立したものと認め、本件紛争が同条所定の紛争にあたるものとして本件訴を不適法とした原審の判断は、これを正当として肯認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官中村治朗の反対意見があるほかは、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官中村治朗の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、原判決を破棄して本件を原審に差し戻す旨の判決をすべきものと考える。その理由は、次のとおりである。

原判決の判示するところによれば、原審は、(1) 上告人と被上告人らとの本件工事請負契約の締結については、被上告人側の申入れにより、いわゆる四会連合協定の工事請負契約約款によることが合意され、同約款を添付した契約書に双方が署名押印して右契約が締結されたこと、(2) 右約款二九条には、この契約について紛争を生じたときは、当事者の双方は一方から相手方の承認する第三者を選んで、これに紛争の解決を依頼するか、又は建設業法による建設工事紛争審査会のあつせん又は調停に付する旨、及びこの方法によつて紛争解決の見込がないときは右建設工事紛争審査会の仲裁に付する旨の記載があること、(3) 上告人代表者は、契約締結前あらかじめ右約款を通読したこと、(4) 上告人はこれまでも宮城県建設業協会の工事請負契約書及び前記本件請負約款二九条と同旨の記載のある工事請負契約約款を使用していた(ただし、小規模工事を請負うことが多かつたため、契約書の本文のみを使用することが多かつた。)こと、(5) それにもかかわらず、上告人代表者は本件契約に際して特に右請負約款二九条の規定を除外する旨を表明しなかつたこと、以上の各事実を認定したうえ、これらの事実によれば、本件工事請負契約においては、上告人と被上告人らとの間で、右工事に関する紛争については、前記請負約款二九条によつて解決すべき旨の合意がなされたことが明らかであり、右合意は、民訴法七八六条に定める仲裁契約にあたると解すべきものであるとし、かかる契約が存在することを理由として、上告人の本訴請求を不適法として却下すべきものとしている。

原判決の右判示中、本件請負約款二九条の定めが民訴法七八六条の仲裁契約にあたること、かかる仲裁契約が存在する場合には、その対象となる事項についての訴は不適法として却下されるべきものであるとの点については、特に異論はない。問題は、本件において右約款二九条に定める仲裁契約に関する合意が当事者間に成立したとする判断の当否である。

思うに、民訴法の定める仲裁契約は、それが成立しているときは、その対象とされている事項について当事者の一方が他方を相手方として訴を提起しても、相手方が右契約の存在をもつて抗弁すれば、前記のように訴が不適法として却下されるという極めて重大な効果を生ずるものである。しかるに、わが国においては、仲裁手続に関し多年の歴史と経験を有する欧米諸国とは異なり、右制度の導入後もこれが利用された実績に乏しく、法曹人すら、紙の上の知識としてその意義と効果を知つているだけで、実際にこれについての実務上の経験をもつていない者の方がむしろ多いのではないかと思われるし、まして一般国民の間では、仲裁手続なるものの存在やその意義と効果についての知識を全くもたず、むしろ仲裁という名称からは紛争解決のためのあつせんや調停に類したものとしてこれを受けとつているというのが実情であろうと推察されるのである。もつとも、本件の場合にあつては、昭和三一年の建設業法の改正により、建設工事紛争審査会という公の機関による建設工事に関する紛争処理の機構や手続が整備、強化され、その一環として右審査会による仲裁手続が導入されて以来相当の年月を経過しているのであるから、少なくとも建設工事を業とする者については、右のような一般国民の例をもつて事をおしはかることは相当ではないかもしれない。しかし、それにもかかわらず、右の仲裁手続の利用度は、近時漸次増加しつつあるとはいえ、なお依然として極めて低い程度にとどまつているのが実情であり(本件記録によれば、宮城県においては、昭和三一年に宮城県建設工事紛争審査会が設置されたが、実際上はほとんど活動していないことが窺われる。)、比較的大きな建設業者や大都会地の業者はともかく、地方の一般零細業者については、右の仲裁手続の存在やその意義及び効果についての認識及び理解の程度は、なお原始状態を多く出るものではないと推測されるのである。本件上告人は、宮城県の郡部で営業している業者であり、原審も認定しているように、従来主として小規模の工事を請負つてきた小規模業者の一人であるから、仲裁手続に関して十分な認識や理解を有していたとはとうてい考えられないのである(原審も、被上告人側がこのような理解や認識を有していたことは認定しているが、上告人についてはこの点についての積極的な認定をしていない。)。それ故、本件のように普通契約約款類似の形式を有するいわゆる四会連合協定の工事請負契約約款を用いてする請負契約の締結にあたり、右約款を示された上告人代表者がその全部を通読したうえ契約書に署名押印したとしても、むしろ同人としては、工事の内容や条件等固有の請負契約条項に関する部分に主として注意を払い、仲裁契約条項に関する部分については、仮にそれに気づいたとしても、その意義や効果についての認識、理解のないまま、これに格別の注意を払うことなく、従つてまた、特にこの部分を除外する旨の意思を表明することもしないで、漫然と契約書に署名、押印したものとみるのが自然の道理に合致するものと考えられるのである。それ故、原審がさきに掲げた(1)ないし(5)の事実のみに基づき、他に特段の事由の存在を認定することなく、直ちに本件工事請負契約書の署名押印によつて上告人と被上告人らとの間に本件請負工事に関して生ずる紛争についての仲裁契約に関する合意が成立したものと認定、判断したことは、速断に過ぎ、経験則違背の違法をおかしたものか、又は理由不備の謗りを免れないというべきではないかと思う。そして右違法が原判決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、原判決はこれを破棄し、更にこの点について審理させるため、本件を原審に差し戻す旨の判決をするのが相当であると考えるのである。

なお一言附加するのに、工事請負契約に関する紛争には種々の専門技術的な問題が含まれることが多く、これらの問題の適切かつ迅速な解決のためには、適当な仲裁人による仲裁手続が極めて有効であり、今後この制度が大いに活用されることを期待する点においては、私も人後に落ちるものではない。しかし、それが真に効果を発揮し、当事者間における正義を実現するものとして当事者を納得させるためには、紛争をこの方法によつて解決する旨の当事者間における明確な合意の基礎が存在することが必要不可欠であり、それが当事者のいずれかにとつて、自己の意図し、ないしは予想しなかつた結果を押しつけられるというようなものであつてはならないことも、当然である。本件のように仲裁契約条項をその一部に含む普通契約約款類似の形式を有する約款によつて契約が締結されるような場合には、別してこの点について注意が払われるべく、更に右仲裁契約条項が「この契約について生ずる紛争」というような抽象的かつ包括的な対象を掲げるにとどまるようなものである場合には、その必要性には更に大なるものがあるといえよう。このことは、本件請負約款のごとき普通契約約款類似の形式をとる約款における仲裁契約条項の規定のし方についても、また、このような約款を用いて契約を締結する業者に対しても、特段の反省と配慮を促すものであると思われるので、将来の無用の紛争の防止のために、あえて一言附加しておきたいと思う。

(本山亨 団藤重光 藤崎萬里 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人西沢八郎、同阿部長、同阿部泰雄の上告理由

一、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、経験則の違背がある。

即ち、工事請負契約に際しては契約書に添付される四会連合の約款を良く理解して契約することは稀であり、工期、工事代金、代金の支払方法について合意されれば契約締結されるのは一般的常識であり、約款の添付は形式的になされるのも一般的慣行である。然るに原判決は中嶋徳三郎が本件契約に際し、特に本件請負契約約款二九条の規定を除外する旨の表明をなさなかつた点を把えて本件工事に関する紛争について約款二九条に従つて解決さるべき合意がなされた旨判旨したのは明らかに経験則に違背している。

二、特に宮城県地方において建設工事紛争審査会の仲裁がなされた事例は皆無であり、その受付方法、仲裁方法等についての定めもなく、従つて中嶋徳三郎が本件紛争について同審査会に対し調停、仲裁を求めても受理されず、裁判において解決されたい旨説示されているのであり(浦山寛の証言及び中嶋本人の供述等)、このことからも約款二九条により紛争解決を合意したということはあり得ないのである。

三、のみならず、約款二九条は訴訟手続を排し、調停、仲裁のみによつて紛争を解決する旨のいわゆる不起訴の合意を定めたものではなく、紛争が生じた場合訴訟手続とは別個に独自の方法により解決しうることを定めたものにすぎない(東京地裁昭和五〇年五月一五日判決、判例時報七九九号六二頁)。

これは一部の都道府県を除き大多数の紛争審査会が実際に機能していない現実に合致するものである。

然るに、約款二九条の合意が民事訴訟法第七八六条の合意に該るものと判示する原判決は全く実情を無視するものであり、法令の解釈を誤まつたものである。

よつて、原判決は破棄されるべきであるから本件上告に及んだのである。

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